昭和46年01月14日 夜の御理解



 今朝から朝の御理解中に、過ち起こる過ち起こる、ということを何回も頂くんです。ですから、今日の御理解を頂きよりなさって、いろいろ気付かれた方もあろうと思うんですけれども、頭の中にまとまりかけておる言葉が、言葉になって出らずに、大変あの、三十分間の御理解の何というですか、こう、スムーズに流れるように出るとが、出来なかった感じでしたが。
 今日一日そのことを思わせて頂いて、まあ皆にそれを言うて、今日は注意して下さいよという様な風にまあ申します時に、私の心の中でそのことをお願させて頂いたのですけれど、まあおかげで一日こうやって終わらせて頂いて、まあ別にこれという過ちも起こらんで済んだわけですけれども。丁度今日はあの、むつ屋のサエコさんの一年の式年祭を奉仕させて頂いたのです。
 行きがけもそういう思いでございますから、迎えに来ましてから、またここでご祈念をさせて頂いて、まあそんな気持ちでおりましたら、あのご心眼に「大きな松という字」を頂きましたから、本当にあの自分で行こうとばし思うておる様に、とにかく神様のおかげを頂かなければ出来る事ではない。これはいつも私が、私がお取次させて貰うのじゃない、私の後ろには、必ず。
 勿論教祖金光大神の御取次ぎのお手代わりをさせて頂くのですけれども、取分け九州の祖といわれる桂松平先生、手続き関係の御霊様達の事、お力に寄らなければ、お取り次ぎ出来る事じゃないと言いながらまた、思いながら、やはり自分がお取次をしておったり、また、自分が行こうとしたりしておることに気付かせて頂いたのですけれども。そうだ今日も、桂松平先生にお願いし、又桂松平先生が行って下さるのだ、そしてお祭りも奉仕して下さるのだという気持ちで、やらさせて頂いてのですけれども。
 本当にいつも自分ではない、神様のおかげを頂かなければとか、いや自分ではない、いつも桂先生が後ろについていっておって下さるんだと言い、思いながらやはり自分が行こうとしておる様にしておる。しかもほんなら今日あたりのように、過ちが起こるという、そういうことを心にかけさせておりながら、やはり自分が出て来ておることに、改めてね、気がつかせて頂いたのです。
 そして、今日一日の無事おかげを頂いた事を、お礼申させて頂いて、霊神様でご祈念させて頂きながらね、そしたらね、急にねものが何かでパッとうっぱなった様な気がしてね、何かパッと、ここの中に飛び込んだのですよ。それてご祈念中に、今日に限って私が感心を持っていないものですから、あのここにいつも私が、挟んでおるんですよね、こう吸い取り紙を。
 だからその吸い取り紙を半分ちぎってから、とらせて頂いて、吐き出したのですけれどね、大きなハエが出てきたのですよ。ハエがここのここの中にパッとうっぱなった感じが。こんな事は初めてでしたけれど(笑)まあけれどもね、本当に過ち起こる過ち起こるという、朝から頂いておったのが、まあこの位の事でおかげを頂いたのだなあ、人間いつ、どこで、はっと言う間に、息が止まるやら分からんのですからね。
 しかもこのハエがまあ犠牲になったわけですけれど。これは吸い込ませて頂いた大きなハエがですね、喉のここのところに止まって、あっと何か知らんけれども、ご祈念中ですからね、あの、祖先賛詞を奉唱させて頂きながら、それですぐ出させて頂いたら、手に真っ黒いものが出来ますから、何か分からなかったけれど、ようと見たらハエでした。大きな、あのぼとぼとハエですよね。
 それが喉の中に飛び込んで行った。本当にあの神様がお知らせを下さるからには、矢張り心せよと言うて下さるおかげを下さろうとするからこそ、お知らせを下さるのですから。こちらが心して縋り願っていきゃあ、おかげが受けられる事が分かります。それでもやっぱり何かの印をね、この様に見せて下さると言う事が有り難いじゃないですかね。
   どうぞ。